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1-3

 ちゃぽんと湯が音をたてる。
 ゆっくりと髪と体を洗い、バスタブに体を浸した朱里はゆっくりと自分の肌を撫でる。


 四ヶ月で随分と太ったように思う。実際は痩せ気味だったのが少しふっくらした程度なのだが、利之が喜ぶのでスタイルを維持する事が必須だった期間から突然食べて全く動かない生活になったのだ。ダイエットはずっと趣味のようになっていた分、朱里としてはスタイルの崩れは不本意だった。
 エステに通ったりもしていたが、もうそんな気合いもない。
 利之と会う前は更に肉付きは良かったのだから、これ以上太らなければ良いだろう。

 留置場の食事は白飯だけは立派だった。魚沼産だと云う噂も中で聞いたがそこまで真偽は分からない。
 週に一度の麺類が楽しみだ、と長く留められているという女は云っていたが、朱里はその曜日に当たる事はなかった。ひたすら印象に残ったのは仕出し弁当によくあるプラスチック容器にみっしりと埋め込まれた白飯で、おかずはよく覚えていない。
 ただ量が多く、これも税金だと思って残さず食べたのは意地だったが、運動時間と称される日向ぼっこのような時間と取調べの時間以外は徹底して檻の中だった。

 三日程で移された拘置支所は個室だったが、やはり食事は三度きっちりとやってきた。味というよりはメニューのバランスがおかしく、コッペパンとジャムと何やら分からないごった煮のような和風か中華の中間のような煮物だったり、カレーライスのような丼と味噌汁と何かの煮物だったり、組み合わせも材料も不可解だった。
 勿論文句を云う筋合いではないので全て平らげたが、やはり日中拒否し難い運動の時間と称される中庭での日向ぼっこと、週に三回の短時間の入浴と取調べ以外は動く事はない。
 トイレも室内に衝立があるだけの状態だし、課せられた事は布団を畳む事と下着の洗濯だけで運動にもならない。

 掃除なども厳しくチェックされ囚人らしく扱われた留置所と違い、拘置支所では判決が出る前の立場と云う事でだろう、朝夕の点呼以外はまるで質の悪い旅館のように放置され、どちらかと云うと当たらず触らず丁寧に扱われていたようにすら感じたものだった。

 どちらにせよ、『ブタ箱』と云うのは長くいればいる程太るからなのかと、半ば本気で考えた朱里だった。




『田沼は君の事を、セフレだと云っている』

          嘘っ

『君も知っていた事だと云っているよ』

      知らなかった!


 
 朱里はぶるんと体を震わせる。
 職場に麻薬取締官と名乗る男達がやって来て、利之が大麻と違法薬物をやっているのを知っているかと聞かれた時、朱里は彼等の目を真っ直ぐに見て知らないと云った。

 ドラッグに関しては合法だと聞いていたし、違法に変わるとは聞いたが当然同じ物を使い続ける筈がないと思っていたので正直にそう云った。
 大麻は一度ホテルで勧められたが拒否をした事があった。
 その後『友達と楽しめ』とその時の吸引器と一緒に押し付けられた葉っぱが偽物のただのハーブだった為、やはり本物を扱う程の莫迦ではないと安心していた。

 家にあったドラックの空袋と吸引器が押収され、連れて行かれた厚生労働省の麻薬取締部の事務所で尿検査を強いられた結果が出たのは三日後。
 ドラッグは違法指定のもの。大麻も本物であった。
 救いだったのは尿検査では当然ながら何も出ず、朱里は薬物の使用ではなく所持という罪状と利之の共犯者としての疑いとなった事だろう。


 朱里はデパートに勤めていた。
 職場に麻薬取締官は目立たないようにやって来たが、逮捕状が出るので一週間後に出頭するように。しかも数日は泊まってもいいようにと指示されては休みを取る為にも上司には話さなくてはならない。
 一番信頼出来る上司に利之の事と、自分は知らなかったが取り調べを受けると正直に話した所、その日の内に上層部に呼び出され解雇通達を受けた。
 事情を話しても、同情する素振りはされたが解雇は覆らなかった。自主退職という形になったのはせめてもの温情だろうか。


 何度も何度も同じ質問を繰り返され、嘘が苦手な朱里は正直に全く同じ返答をし続けたが説明は保身に走った言い訳と云われ、言葉尻を取られ、重箱の隅を突付くように無意識の行動にも理由を聞かれ、一年以上遡ったささいな行動も日時と理由や心情を聞かれうんざりしながら拘留期間を延長され続けた結果、やっと無罪放免となった朱里を待っていたのはアパートの退居通達だった。

 拘留期間延長となった一因でもあるが、拘留されて以来朱里は後見人となっている叔父には連絡を拒否し続けていた。その為家宅捜索などで大家に事情が筒抜けだったのだ。
 拘留の理由までは話さなかったらしいが、麻薬取締官と名乗れば言わずもがなというものだろう。

 家賃は引き落としになっていたので、朱里は貯金から家具などの処理費用を大家に渡し、身の回りのものだけ持ってやっと帰ったアパートを一晩も留まらずに立ち去った。
 この先の為に家具を引き取るにも、叔父の家には帰れない。行き先も決まらないのではどうしようもない。
 最低限の電化製品を中古で何とかする程度に貯金はあったので、面倒になって処分を決めたのだった。


「……滅入ってても、しょうがない」

 この四ヶ月の事を考えると憂鬱になるし、この先の事を考えれば気は滅入ってくるが、もうどうしようもないのだと朱里は溜め息をつく。

 こうしてよく分からない内に他人の家の風呂に浸かっている自分を考えれば、まだまだ先の事は分からない。
 住み込みのバイトでも探すか、初期費用の少ない安アパートを捜すか。とにかく動けば何かは進展するだろう。
 
 元々ネガティブではない自分を自覚している。前向きなのは唯一の取り柄だとすら思う。
 なら、気張るしかない。

「よしっ」

 勢いよく立ち上がるとバスタブの湯を抜き、一風呂の恩だとばかりにバスルームを磨き始める朱里だった。  

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