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2-12

 朱里のバイトは基本的に月水金の週三回となっている。
 火曜日が休みの車のディーラーが客に多い為、月曜日は忙しい。
 常連が続き、気が付けば上がりの時間になっているのが毎週の事だ。

「じゃあ、失礼しまーっす」

 常連やママに見送られ店を出る。
 終電に間に合う時間とあって、店はまだまだこれからという盛り上がりである。

 鼻歌混じりにエレベーターに乗る。
 一階に着く頃には僅かな時間しかかからない。

「仕事、終わったか」

 エレベーターから降りるなり、立っていた男に笑いかけられて朱里は息を呑んだ。
 朱里の腕を引き寄せると、男     利之は強く朱里を抱き締める。
 背の違いは十センチ程。しかし固太りの利之の腕に囲われてしまえば、朱里に逃れようがなかった。

「朱里」

 抵抗する間もなく抱き締められ体を硬くした朱里だったが、その腕はあまりにも慣れ親しみ、求めた記憶が深いもの過ぎた。

 頭の中で鳴り響く警鐘。それが遠く感じる。

 このまま自分からも求めれば、この男は二度と自分を離さないだろう。
 そう思える程、利之の抱擁は強い。

「こんな所で……っ」
「ああ、場所を変えよう」
「そうじゃなくてっ」

 ぞくぞくと体の奥から湧き上る疼き。
 身を捩っても離されない腕が熱い。

「朱里、一度きちんと話そう」

 今更何をという気持ちと、第三者からもたらされた情報ばかりで利之が自分を騙していたと決め付けたくないという気持ちが激しく絡み合う。

 少しでも、体だけではなく自分自身を見てくれていたのか。
 こうして逢いに来たのだからひょっとしたら。

      顔には出さずに乾いた嗤いが朱里の裡に広がる。
 その冷笑が自らに向かっている事は自覚していた。

 関係を続ける事は有り得ない。
 妻とは別居中で疎遠だと云うのが嘘だったのは分かっている。
 しかも小学生の子どもまでいると云う。
 利之が償わなければならないのは、自分にではなく家族に対してだろう。

 話がしたいと云われれば、拒む事は出来なかった。
 腕を掴まれてビルを出ると程近い駐車場に停めてあった車に押し込められる。
 車は大きめのワンボックス車。見慣れた筈のそれがやけに余所余所しく感じた。

「何処行くの」

 口もきかずに車を走らせる利之の横顔を見る朱里に、利之は小さく笑った。

「何処にも」

 少し走り神社の塀に車を沿わせるように停めると沈黙が訪れる。
 そこは繁華街から僅かに外れた住宅街との狭間だった。

「……奥さん怒ってるでしょう」

 まず嫁の話をしたのは多少の危機感があったからかもしれない。
 人通りのない道は、それだけで車内の密室感を高まらせる。
 それでも、朱里はまだ利之の良心を信じていた。

 自分の四ヶ月ですら辛かった。
 言い分を受け入れるように接しられながらも、執拗な責めがそこにはあった。
 白か黒かと問われれば恐らくは灰色に分類されていたであろう自分ですらそうだったのだから、利之に対する取調べはずっと厳しいものだっただろう。

 大麻も違法薬物も逃れようのない故意だったのだと云うならば、改心しているだろうと。

「利……?」

 返事をしない利之に声を掛けた朱里は息を呑む。
 唐突な動きだった。
 覆い被さるように身を乗り出した利之の唇が貪るように朱里の顔を這い回り、シートを乗り越えた躰が伸し掛かる。
 有無を云わさず助手席の背が倒され、見上げれば情欲に濡れた瞳が間近にあった。

「止めて」
「ずっと、したかった」

 噛み合わない。
 顔を歪ませた朱里のシャツがたくし上げられる。ボタンが飛んだのか、布が破ける音が聞こえた。

 太い足に挟まれ身動きは取れない。
 胸を弄られ、腕を引き離そうと藻掻くが力で敵う訳がなかった。

      嘘を吐いていた癖に、嫁も抱いている癖に、本命がいる癖に。

 頭の中で暴れる罵倒は際限がないというのに、何一つ口を出て来ない。
 後悔しているのならば、酷い事は云いたくない。未だにそう思う自分がいた。

「や……っ」
「拗ねてるのか? 知らないって事で通用したんだろ? 前科も付かないで終わったじゃないか」

 頭から冷水を被るとはこの事かと、朱里は一瞬で真顔に戻った。
 やはり利之にとって自分は、本当に共犯者であったのだと。

「身に覚えがない事で罪になる訳ないでしょう」
「そういう事にしておいてやるよ。もう済んだ事だしな」

 最も自分を信じていないのが恋人だと思っていた男だとは、何処まで滑稽なのだろう。
 自分が本当の利之を知らなかったように、利之も自分を知らない。
 これは自業自得なのかと朱里は口許を歪ませた。

「吸って」

 朱里は鼻下に突きつけられた小瓶に瞠目する。いつの間にか利之が手にしているそれから顔を背けようとするが、強い力で押さえ込まれてそれは叶わない。
 シートの背に頭を押し付けられたまま小瓶を持つ手に口を塞がれ、頬を支える手に片方の鼻穴を塞がれた。

「いいから、前も使っただろ? 思い切り吸い込めよ」

 空気を求めた鼻穴からツンとした刺激臭が入り込む。二度目の呼吸で目の前に幾つもの白い光が飛んだ気がした。
 何度も何度も吸い込むまで、手は離されない。

「いい子だ。久し振りだから効くだろう?」

 グラリと揺れる視界。後頭部がやけに重く感じ、朱里は片手で顔を覆う。
 はあっとついた息が熱い。

「まだ、こんな物……っ」

 勢いで吐き出した言葉は抑揚がおかしい。

「ヤバい物は使ってない。ほら、挿れるぞ」

 利之の手に力が込められストッキングが破れる。既に彼のズボンの前は寛げられ、猛々しいものが太腿に当たり朱里は首を振った。

「もう……やめてっ」
「まだ足りないのか?」

 おやおやとでも云いた気な口調で利之は再度朱里の鼻に小瓶を宛がう。
 それは規制されていない液体薬物で、揮発性の高いものだった。
 鼻から吸引するとシンナーのような匂いがして、上顎から鼻奥まで骨が溶けていくような気分になるので朱里は好きではない。と云うより、体に悪いのが分かり過ぎてはっきりと嫌いだった。

「ほら、深呼吸しろ」
「これ……やぁ」
「しょうがねえなあ」

 小瓶を置くと下着の隙間からずぶりと利之の楔が朱里を貫く。
 膝を抱え上げられ狭い空間に体があちこちにぶつかる。

「ぅ…くぅん……っ」
「誰ともやってなかったのか? 狭くなってるみたいだ」
「してな…やっ」

 体が熱い。体の隅々にまで薬が行き届いたように止められない欲求が膣の中から、内臓の奥底から蠢き出るのを感じて朱里は歯を喰いしばる。
 こんなのはもうしたくなかったと叫びたいが、刺激を与えられなければ狂ってしまいそうだった。

 どん、と鈍い音を立てて頭が窓にぶつかるが、痛みを感じるよりも耐える欲求の方が大きい。
 強引に体勢を変えられ自分が跨っているのが分かったのは、自分を下から支える男の首が唇に触れ、汗の味を感じた時だった。
 耳元で大きく息を吸いそして吐く音が聞こえる。
 利之も薬を吸っている。そう分かっても、小瓶を取り上げる事すら出来ない。

「ああ……やっぱりお前は最高だ」

 下から突き上げ、反り返った朱里の胸に喰らい付く。既に朱里に抵抗する力はない。
 腰を揺すられ、持ち上げられ落とされ、淫猥な音と共に何度も太く硬い楔が朱里の体を貫く。
 必死に保とうする理性すら、薬の影響が及んでるのかもしれない。
 こんな獣じみた交わりは嫌だと、自分の裡が叫んでいる意思だけが朱里にとって本当の自分だと分かっているのに、腰は動き指は利之の体に縋り付く。

「ほら、まだ欲しいだろ?」

 再び小瓶が突きつけられる。串刺しにされたまま口と鼻穴の一つを塞がれ、促されるままに深呼吸をした。
 自分が何をしているのか、判断は出来なくなっている。
 ただ、自分の中に収まる肉棒だけが、体の熱さや疼き、どうしようもない飢餓感を満たす物だと感じていた。
 

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