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3-1

 幼い頃から仲の良い従兄妹だった。
 小さな体で追いかけて来る少女を七歳年上の彼は大切にしていた。

 互いを大切に想う気持ちが家族に対してのものとは違うと気付いたのは、いつからだっただろうか。





 斎場のロビーは暗く非常灯だけが陰鬱な光を灯している。
 二階に行けば明るいとは分かっていても、朱里はベンチに座りガラス越しに見える外の暗闇をぼんやりと見ていた。

 両親の事故。仲の良い夫婦ではあったが、何も逝くときまで一緒でなくてもいいではないか。
 朱里が春休みに入り、一緒に旅行に行こうと誘ったのは父だった。
 結婚記念の祝いも兼ねているのだから水入らずで行けと勧めたのは朱里だ。
 だが、もう帰って来なくなるとは思っていなかった。

 父親に兄弟はいない。祖父母もいない今、親戚と呼べるのは母の弟とその息子。叔父は嫁とは死別しているので、二人だけだった。
 叔父は今、仲が良かった姉とその夫を前にどう過ごしているのだろうか。
 弔問客が帰り二人きりの沈黙に耐えられず出てきてしまったが、戻る気にはなれない。

 広い斎場に従兄の姿はない。
 旅行中だった彼は、通夜には間に合わないが明日の告別式には必ず間に合わせると電話で朱里に告げた。
 今夜中には着かないだろう。そう分かっていても、朱里の目は暗闇から離れない。

 子どもの頃から、彼は朱里が泣いていると飛んで来て抱き締めてくれた。
 広い胸は当然のように朱里のものだった。



 暗闇から飛び込んで来るように差し込む二筋の光。
 玄関に横付けられた車は見覚えがある。
 従兄の高校からの親しい友人の物で、何度かその助手席に座る彼から声を掛けられた事があった。

 光に引かれるように自動ドアを出ると助手席のドアが開く。
 飛び出して来た男は朱里に駆け寄ると、その体を抱き留めた。

「遅くなってごめん。大丈夫か?」
「駿兄さん……」

 中学高校と柔道部で鍛えた筋肉は大学に入り三年を終えても衰えたようには感じない。
 温かな腕とセーターからの煙草の匂い。頭に寄せられた唇に名を呼ばれ、朱里は涙は涸れ尽くしていたのが勘違いであった事を知る。

 涙が溢れ出し、嗚咽を堪えきれずにその胸に朱里は顔を押し付ける。
 いくら泣き喚こうと、この胸が受け留めてくれる事を朱里は知っている。
 両親がいなくなってしまった今、朱里が思い切り泣ける唯一の場所だった。

「吉岡、じゃあ」
「助かった。無理させて悪かったな」
「いいさ、荷物は明日にでも届けるよ」

 頭上で交わされる会話は短く、朱里が顔を上げた時には車は走り出していた。
 戸惑うような表情に向けられたのは、柔らかい笑みだった。

「夕方にはバスもなくなるような田舎に行ってたからね。佐久間が迎えに来てくれたんだ」
「……迎えに?」
「あいつ、朱里の事気に入ってるからね。朱里の一大事って云ったら二つ返事で飛んで来た」

 擦られる背中が心地良い。

「佐久間さん……? 駿兄さんといつも一緒にいる人だよね」
「ああ」
     話した事あったかな」
「ない」

 きっぱりという口調に、朱里の涙も止まる。眦をぺろりと舐めた駿がにやりと笑った。

「寄るな触るな口聞くな。そう云ってある」
「何それ」
「朱里は俺だけのだから。あいつ手が早いし、絶対朱里とは話させない」
「駿兄さん、心せま……」

 頭を抱き寄せられて言葉が遮られる。軽く数回あやすように頭に触れると、駿は朱里の肩を抱いて自動ドアに向けて歩き出した。

「朱里、父さんとも電話で話したんだけど」
「何?」
「これからの事」

 これから。考えてもみなかった事を云われ朱里は驚いたように駿を見上げる。
 そうだった、まだ未成年の自分はこれからどうやって生きて行くのだろうか。

「心配しないで。うちに来るといい」
「でも、家があるのに」
「……父さんも俺も、朱里を一人にする気はないよ。伯父さんも伯母さんもそんな事は望まない」

 まるでスイッチを入れたように、その言葉で朱里の瞳から涙が溢れ出す。
 会話のそこかしこで思い知る。もう両親は帰って来ないのだと。
 駿は慌てたようにベンチに朱里を座らせ、抱いた肩を擦る。

「ごめん、今話さなくても良かったな」
「うーーっ」

 俯き唸りながら首を振る朱里を再び抱き締め、駿は静かに息を吐いた。

「まだ泣き足りないんだよ。ほら、いいから思い切り泣きな」

 温かい胸に顔を擦りつける朱里の背中で、柔らかく宥めるような振動が繰り返される。
 薄暗く陰鬱に感じていたロビーは、一人じゃないと思うだけでほんのりと暖かく感じられていた。

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