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3-11

 武史は考え倦ねた末、朱里と直接話す事にした。
 駿は二人で話してからこちら、武史と朱里が二人きりになる事がないようにしているようだったがそんなものはどうにでもなる。
 駿には大学もあるし、気をつけて見ればどうやらその合間に彼女との付き合いにも時間を取っているようだった。
 ダイニングテーブルを挟んで向かい合い、本当に大学には行かないつもりかと改めて聞く叔父に朱里は困ったような顔をした。

「うん。だって、早く働きたいよ」
「今まではそんな事なかっただろう?」

 この家に住むようになってからも受験を前提にした勉強は続けているし、その為の補講も受けている。
 勉強に集中して部屋に閉じ篭る事こそなかったが、朱里の成績は悪くない。

「……叔父さんに負ぶさったままじゃ、父さんや母さんに怒られちゃう」
「そうかい? むしろ、甘えられる内は甘え倒せと云いそうだけどね」

 それは本当の事だ。それだけ、朱里の事を任せられていると武史は思っている。

「朱里がもう勉強したくないと云うのなら無理に行けとは云えないけど、そうじゃないのなら別に遠慮しなくてもいい。姉さん達だって、朱里が今の高校に頑張って入った事を知っている。大学にだって行って欲しいんじゃないかな」

 死んだ両親を盾にするのは卑怯な言い草だ。しかし、朱里の気を変えさせるには十分に有効だろう。
 敢えて両親を持ち出した叔父に、朱里は少し口を窄ませる。

「だけど、兄さんが……」
「朱里がどうしたいかだよ。私への負担を気にしているのなら、大学に入ってからバイトでもしたらいい。行ける状況にあるのだから、四年でも短大でも行きたい所を受けなさい」

 それ程までに経済的な事を気にしていたとは思わなかった。
 以前義兄が建てた家やその土地を売却した時にその代価をどうしても受け取ってくれと譲らなかった訳だ。それは勿論朱里名義の口座を作って保管してあるが、その通帳すら受け取らない強情振りだった。
 そう云えば、と朱里が今までにも何度かバイトをしたいと云っていた事を思い出す。今思えば、その度に駿に駄目だと云われて諦めていたのだろう。
 
「ありがとう、叔父さん」

 ようやく小さく頷いた朱里は嬉しそうに微笑んだ。はにかんだ笑みに武史の心は痛む。
 礼など云わなくていいのだ。これから自分は酷い事を云う。
 武史は少しだけ視線を逸らした。

「それにしても、朱里が私に養われている事をそんなに気にしているとは思わなかったよ」
「だって……やっぱり無駄飯喰いっていうか」

 勉強の合間に家事をして、その上駿に束縛されて。無駄飯喰いなどであるものか。
 否定してやりたかったが、武史はそれを表情には出さなかった。

「なら、こういうのはどうだろう。……大学に入ったら、一人暮らしをしてみなさい。学費は勿論家賃も私が出す。その他はバイトをして自分の力でやってみるといい」

 朱里がきょとんと武史を見る。
 それはそうだろう。養うと云った傍から出て行って自分で生きろと云っているようなものだ。
 だが武史の裡にはこの家には二度と戻って来るなと云う事に躊躇いがある。
 何故かと聞かれたなら、云ってしまいそうで。

 朱里が恋人だと信じ、全てを預けて育ってきた男には他に相手がいると。その相手と結婚は考えても朱里に対しては閉じ込め独占する事だけを望んでいるのだと。
 知らずに済むのならば、知らない方が傷は浅い気がした。

「……私、出て行った方がいい?」

 気負いも悲壮感もなく、朱里が云う。
 視線を泳がした武史が何故そう思うのかを問い返すのが精一杯なほど、静かな問いだった。

「私、叔父さんが好きよ。叔父さんが困っているのならちゃんと話して欲しい。……私と兄さんの事、困ってる?」

 真っ直ぐに視線を向けられて武史は表情を殺す。
 朱里は庇護欲を刺激する雰囲気を持つ娘だが、芯は強い。しかも頭も悪くない。
 読まれてはいけないと、自分を制した。

     実は、かなり困っているよ。次期社長として、駿には結婚を前提にした相手がいる。あれだけ朱里に夢中だとそちらを反故しかねない。……そうしたら、恐らく会社はお終いだ」

 全てが嘘ではない。だが、本当でもない。
 朱里が駿を問い詰めなければ、破綻しない程度の嘘。否、駿ならばきっぱりと否定して朱里だけだと信じさせるだろうか。
 武史は深く頭を下げる。

「身を引いて欲しい。私を恨んでも構わない。…駿の前から姿を隠してくれ」

 そうしなければ、駿は朱里を殺してしまうだろう。
 命を消すのではなく、この世の中から消してしまう。

 長い、長い沈黙だった。
 こんな理不尽な話には納得出来ないかもしれない。
 やはり、傷付ける事になったとしても本当の事を話して決別させるべきなのか。
 
「……このままじゃいけないって、ちょっと思ってたの」

 ぽつりと云った言葉は、やけに大人びていた。
 伏目がちな瞼が何度も合わさるのは、泣くまいとしているのか。

「普通の恋人とは違うって。きっと兄さんの中で私は卵みたいに包んでおかなきゃ割れちゃうくらい、弱くて小さいままなのかもって」
「朱里……」
「私は自分の足で立てる。なのにいつだって抱きかかえてたら、兄さんは駄目になっちゃうかもしれない。兄さんの邪魔にはなりたくないの」

 違う。そうではない。
 咄嗟に頭を振りそうになるが、武史は拳に力を込めてそれを止める。
 抱え潰されるのは朱里だ。駿は、自分の生活は別に持とうとしているのだから。

「高校の間だけ、もう少し甘えていていい? その後はもう私の事は忘れて構わないから」

 ぽろりと零れる涙を指で拭って、朱里は微笑んだ。その微笑みに胸が抉られるようで、武史は顔を歪める。
 今この瞬間、自分はたった一人の姪から血縁を残らず奪い取った。
 たった一人で生きろと、突き放したのも同じだ。

「すまない。経済的に私には頼ってくれていい。いや、頼ってくれ」
「最初だけ。……中途半端だと兄さんにバレちゃうよ。ふふ、生まれ変わるみたいなものだもの。そんな顔しなくても平気よ、叔父さん」

 武史は言葉を失う。ここで笑える程強い娘だったのかと。
 まだ十八にもなっていない。女性というよりは少女に近く見えるというのに。

 それでも、それ以上の言葉は重なる事はなく、朱里は言葉通りに高校の卒業と同時に吉岡家から姿を消した。




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