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3-2

 ……夢を、見ていた気がする。

 朱里はゆっくりと身を起こすと、枕を背に当て寄りかかり膝を抱える。
 夢の内容は覚えていない。
 ただ、聞きたくて堪らない恋しい声を聞いた気がした。

 マンションを出てから何日経っただろう。
 いつも時計やカレンダーの確認は携帯を使っていたが、バイトを辞めさせてくれとママに連絡を入れて以来電源は入れていない。
 テレビをつければ曜日も分かったが、何だか億劫で日にちを数える事は止めてしまった。

 日にちを数えたのはたった一日。
 悠介が出張から帰って来ただろう日だけ。
 彼は、理由すら書けなかった置手紙を見てどう思っただろう。

 怒っただろうか、それとも傷ついただろうか。
 あるいは、もう自分の事など記憶の端に追いやってしまっているかもしれない。

 そう云えば、隠し事があると云っていた。
 何だったのかは気になるが、もう聞く事もないだろう。

 朱里はこてんと体を横たえ、天井を見上げる。
 駿に連れて来られたのはマンションの一室だった。
 エントランスにはホテルの受付のようなカウンターがあり、手続きを取っていたところを見るとウィークリーマンションのようだと、手を引かれるまま朱里はぼんやりと眺めていた。

 部屋に生活感はないが十分に暮らしていける物が揃っている。部屋自体広く台所も一般的な物が付いていて単身用とは思えない。
 ベッドもダブルかそれ以上の広さはある。
 一人ではなく二人で契約したのかもしれない。
 ぼんやりと考えはしたが、それの何を問えばいいのかまで頭が働かない。

 目を閉じれば、どろりとした眠気が覆い被さってくるように手足すら動かすのが億劫になる。
 こうしてまた一日が終わっていく。
 何もしなくても時間が過ぎていくのは何だか不思議だと、朱里は口許を歪めた。

「朱里、起きてるか?」

 にこやかに部屋に入って来たのは駿だった。
 スーツ姿のその腕にはスーパーの袋が抱えられている。  
 がっしりとした体つきに体育会系の爽やかな顔。所帯染みた荷物をテーブルに置く姿はどこか微笑ましいと、朱里は笑みの浮かばない表情のままぼんやりと視線を向けた。

「朱里?」

 数秒の間をおいて朱里はゆっくりと微笑む。
 意識しての間ではない。酷く鈍感になっている自分を感じていた。

「おかえり、兄さん」
「うん、ただいま」

 ぎしりとベッドが軋む。まるで枕があった場所だけに体を収めようとしているような朱里の横に腰を下ろすと、彼は苦笑しながら朱里の体を掬い上げる。

「寝相じゃないよな? 何でそんな隅にいるんだ?」
「何となく……」

 囲われた腕に体を預けて、頬を擦るように寄せた朱里はその胸の温かさに目を閉じる。

「兄さん、スーツが皺になるよ」
「いいよ。まだ朱里が足りないから」
「足りないって……?」
「四年分触らないとな」
「……スケベ」
「知ってるだろ」

 寄せられる唇。朱里は避ける事なくそれを受けとめる。
 柔らかな唇と厚い舌を受けながらも跳ねもしない自分の心臓は本当に動いているのだろうかと思いながら。

「朱里、昼飯はちゃんと食べたか?」
「うん……」

 解放されて軽く息を吐いた朱里を覗き込む目が細められる。

「嘘つけ。まったく動いた気配がないぞ、この部屋」

 朝自分が出て行ってから、コップ一つ動いた様子がないのは気のせいではないだろう。
 そう駿が当たりをつけて云った言葉に朱里は気まずそうに視線を逸らす。
 放っておけば食事どころか水分すら取らない。どうやら意識しての事ではないようだが、それは今日に始まった事ではなかった。

「だって、食べたい気がしないんだもん……」
「朝だってスープだけだったろ。買い物して来たから、何か作るよ」
「……欲しくない」
「駄目。どうせ俺が作れる物なんて知れてるんだから、少しでも食え」

 唇を窄ませて俯く朱里に駿は苦笑する。
 四年振りに会った従妹は、その年月で十分に女性に成長していた。
 高校を卒業した頃はまだ顔や体は丸みを帯びて幼さなさが感じられていた。痩せたせいもあるだろうが嫋やかな肢体は儚げですらある。
 大きな瞳は変わらない。笑えば心が癒され、泣けば見ているこちらの胸が痛んだ。
 その瞳から感情が半減してしまっているのは何故なのか。

 「助けて」と云った朱里は、行き場所がなくなってしまったとだけ駿に告げた。
 頑なに理由を話そうとはしなかったが、無理に聞き出す気はない。
 駿にとっては、手元に朱里が戻って来た事のみが重要だった。

「じゃあ、朱里が作る?」
「……え?」
「久し振りに朱里の作る飯が食いたい。この部屋に来てからまだ台所に立ってないだろ」
「うん。じゃあ、作るよ」

 腰に回されていた腕が緩むだろうと思い立ち上がりかけた朱里は、全く動けない事に眉根を僅かに寄せる。
 
「兄さん……?」
「朱里、四年は長かったな」

 首筋に埋められた唇から漏れる言葉は吐息まじりで、朱里は動きを止めた。

「もう、何も考えなくていい。俺の傍にいればいいから」

 背中を大きな掌が這う。存在を確かめるように。

「愛してるよ」
  
 囁きを聞きながら、朱里はゆっくりと目を閉じる。
 ベッドの軋みも熱い息遣いも、どこか遠く感じていた。


 初めて体を繋げたのは、高校に入学してすぐだった。
 告白と同時にキスを貰ったのは更に前。
 従兄妹は結婚できると教えてくれたのも、この従兄だった。

 朱里にとって駿とそうなるのは当然の流れのようなものだったし、駿にとってもそうだった。
 大きな腕の中にいる事は、何よりも安心出来た。
 甘えてばかりいた従兄が女としての自分を欲していると分かった時、泣きたくなる程嬉しかった。

 同じ屋根の下に住むようになり、叔父には隠しながらも同棲状態は幸せだった。
 その幸せはずっと続くのだと、信じて疑わなかった。


「……朱里?」
「う……ん、兄さ…ん」

 愛撫に身を捩る朱里の口から、甘い声が漏れる。それを聞いた駿の口許が緩んだ。
 この部屋を借りてから当然のように彼女を抱いた。恋人が帰って来たのだから欲しない筈がない。
 貪欲に求める駿に対して、最初朱里は抵抗もしなかったが、自ら欲する事もなかった。
 声が漏れる事はあってもそれは歓喜のそれではなく、行為に対する反応でしかない。
 濡れる事もなく、しかしそれに従って痛みをもたらしているだろう挿入に対する拒絶もなかった。

 抱き人形のようだ。朱里の心のどこかで冷静に囁く声がする。
 この男に助けを求めれば、こうなる事は分かっていた。
 拒否する理由も思いつかない。確かにあの頃愛されていたし、それは今もなのだろう。

 ならば、何故、心が震えないのだろう       

     なに?」

 突然ひんやりとした感触が起こり、朱里はびくりと身を竦ませた。
 躰の中心を弄ぶ駿の指がその冷たさを追うように、中を掻き回す。

「ローションみたいなもの。痛そうだから、少しだけ使わせて」

 濡れていないのは分かっていたのか。
 当然の事だったが、朱里は何となく気付かれていない気がしていたのだ。
 それか、四年も経って濡れにくい体質にでもなったかと思ってくれているだろうと。

 従兄に教えられた快楽も、その後利之に仕込まれた享楽も、躰は忘れていない。
 それなのに反応の鈍い自分の躰が不思議だったが、それでも駿は自分を抱くのだ。

「兄、さん……? 何か、熱い……」

 蜜壷に熱を感じ、朱里は眉を顰める。弄られる指の感触が、やけに近い。

「大丈夫。ほら、濡れてきた」
「や……ふぅんっ」

 疼きに耐えられず腰が揺れる。
 嫌な予感がしたが、既に遅い。与えられる愛撫は、快楽を導くのを彼女は知っていた。
 
「可愛いね、朱里。愛してるよ」

 啄ばむように口付けを落しながら、ゆっくりと彼の雄が朱里の中に入っていく。
 滑らかになったそこは貪欲に彼を呑み込んだ。

          

 気持ち良さげに息を漏らした駿の手元には、カラフルな色合いのチューブ。朱里はそれを見て、目を伏せる。
 見た事がある。大人の玩具屋でも簡単に手に入ると聞かされた事まで思い出した。

 軟膏タイプのそれは催淫効果のあるものだった。
 手軽に入手出来る割に効果があると、時々思い出したように利之も利用していた。

      何で、皆そんなの使いたがるかな。

 薄く笑いが込み上げてくる。そこまでしたいものなのか、朱里には理解出来ない。
 それとも。
 自虐的な想像が生まれるが、答えは見つからない。

 それとも、自分にそういった物を使わせたくなる何かがあるのだろうか。
 
      もう、どうでもいい。

 くるりと躰をうつ伏せにされ、顔を見られない事に朱里は自嘲の笑みを浮かべる。
 顔を枕に押し付け、朱里は強請るように腰を押し上げ駿を刺激する。乱れるのが望みなら、幾らでも乱れられる。躰だけでいいのならば、どれ程でも淫らに啼ける。
 強く腰を打ち付けられ、背を反らせながら、何かが壊れるような気がした。

 喘ぎ声は、記憶通りに出す事は簡単だった。
 唇を噛み締め、たとえ涙を流さないように必死に堪えていたとしても       

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