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4-6 < In six years-2 >

「……遥人さん。悠介さんにすっかり見通されてますよ」

 カウンターでコーヒーも飲まずにマスターと談笑する姿に溜め息が出る。
 予想通りだ。しかも、僅かに空気が違うのに朱里の眉根が寄る。
 表情もいつもの遥人だが、微妙にピリピリとした空気を感じる。 

「朱里ちゃん、僕も休憩入るから後よろしく」
「はーい」

 遥人に声を掛けて裏へと向かうマスターを見送ってから、朱里は遥人の顔を見て小首を傾けた。

「ん?」
「遥人さん、今日飲みたいもの決まってます?」
「いや?」
「じゃあ、任せて貰っちゃおう」

 鼻唄まじりにコーヒー豆を用意して牛乳や鍋、泡だて器を手早く揃える。
 深煎りのコーヒーをゆっくりとコクがしっかりと出るように落としながら、牛乳を温めつつ泡立てていく。
 ガツンと強いコーヒーと甘味の出た牛乳のカフェオレを温めておいたカップに淹れ、鍋に残した泡で蓋をして出した朱里を遥人は見る。
 その視線を受けて、朱里はにっこりと極上の笑みを添えた。

「偶には優しい味もいいでしょう?」

 朱里自身、酷く疲れた時にはこれを飲む。自然な甘味と柔らかい泡がじんわりと体に染みるようで。
 普段はブラックでしっかりした味のコーヒーを好む遥人だが、今日はこれを飲んで欲しい気がしたのだ。

「……美味い」
「ついでにお茶請けもどうぞ」

 試作品のケーキ。卓がかなりがっついて行ったがまだ残っている。
 どうせ感想も聞きたいし、他に客もいない。
 癒されるにいいだけ癒されて行ってくれという気分だ。

 数ヶ月後、『御堂』の社長が代わる。現在の社長である浩は会長となり、将人が社長に就く。伴って遥人は副社長へと就任する事が決まっているのだが、その為に多忙を極めている事は悠介から聞いていた。
 ここで息抜きをするだろう事が分かっていながら悠介が、朱里に電話はしてきても遥人を迎えに来ないのは一休みさせたいからなのだろう。

「先刻将人さんと卓くんも来てたんですよ」
「将人も最近ヤラレてるからな」

 言葉にしなくても労わりは通じたらしい。将人も同じかと苦笑いを浮かべている。
 朱里の笑顔や声音は、見て聞くだけで癒されるのだ。
 それに気遣いが加われば、疲れただけでこの店に来たくなるのも仕方がない。
 一家に一台欲しい程の、癒し製造機だなどとまで思ってしまう。まあ、悠介を怒らせても仕方がないので口には出さないが。

「あーくそ、悠介はしっかり家で朱里に癒されてんだよな。俺に乗り換えないか、いっそ?」

 遥人にしては珍しい愚痴まじりの口調だが、本気でない事は分かっている。朱里はくすくすと笑った。

「残念。私、好みに煩いんですよ。知ってました?」
「ああ、知ってる知ってる」

 ひらひらと手をぞんざいに振る遥人は、カウンターに肘を付いて溜め息を吐く。
 遥人に面と向かって「好みじゃない」と云う女などそうそういない。
 そう云い切れる女を手に入れた悠介が、羨ましかった。

「なあ、お前等何でまだ籍入れないんだ?」

 ぽつりと遥人が問う。
 一緒に暮らしてもう六年。籍を入れていない事を除けば夫婦同然だ。
 しかも、悠介が何度もプロポーズしている事を遥人は知っている。

「プロポーズの返事だってしてるんだろ?」
「してますよ、ありがとうって」
「……お前、それは生殺しって奴じゃあ」

 焦る気はないと、まるで更新するかのような気負いのなさで悠介は年に一度朱里にプロポーズしている。
 勿論その度に本気である事は疑いようがない。
 だが、そんな返事を貰っていたとは知らなかった。

     悠介に一気に同情したな、今」
「甘やかされてるとは思ってるんですけどねー」

 いい年をして小悪魔か、お前は。
 いや、朱里の気持ちも分からなくはない。
 朱里は六年前に一度悠介の前から姿を消している。止むを得ない精神状態だったとは云え、その事実は事実。籍を入れてしまうには、まだ自信が持てないのかもしれない。
 ……だが、これだけ一緒に暮らしていれば同じ事だろう。

「ねえ、遥人さん」
「ん?」
「前に、悠介さんに聞いたの。遥人さん、自分に寄って来る女の人達にとって自分が餌みたいに思えるって」
「……ああ、そんな事を云った事もあったな」

 朱里は話しながら落としていたコーヒーを二つのカップに淹れ、一つをソーサーに乗せて空になった遥人の前のカップと交換し、一つは自分用に手元に置いた。

「私ね、利や兄さんに対して、同じような事思ってたの。と云うか、聞いた時、思い当たってびっくりした」
「……かもな」

 本当の自分などを見ずに、自らの脳内にある理想の自分を欲する。それで好かれても、後で失望するだけだ。
 確かに朱里もまた、本当の朱里というよりは欲望に忠実な共犯者であったり、ひたすら守護が必要な人形かペットだったりと、自分を見ない男達に欲されていた。

「でも、悠介さんに会えたんだよね。その結果じゃなくて、その過程で」
「惚気か?」

 その結果くっつく事になった経緯は今更聞かされるまでもない。
 遥人が呆れたように見ると、朱里はにっと笑う。

「悠介さんも、遥人さんが幸せにならないと落ち着かないって口癖みたいだし」
「俺の所為かよ」
「前に将人さんから聞いたのよね。遥人さんが落ち着いたら自分の幸せを考えるってずっと云ってたって」
「そりゃ、お前とそうなる前の話だろ」
「だから、決めちゃった。遥人さんが幸せになったって私達が思えるまで、このままでいるから」
「は?」

 カチャンとカップとソーサーが音を立てる。
 こんな顔の遥人はそうは見られないと、内心ほくそ笑みながらその様子を面白そうに眺める朱里を遥人は呆気に取られた顔で見上げた。

「だからって焦っちゃ駄目よ。皆の目って結構厳しいんだから。この前の彼女は頂けなかったわ。あの人じゃあ遥人さんは幸せになれないっていうのが満場一致の意見だったのよ」
「……何だ、それ」
「遥人さん、中身もいい男なんだから絶対逢えるよ」

 愛情過多な程遥人を大事にする家族達の前での遥人は、どちらかというと可愛い男だ。
 いつかそれを躊躇なく見せられる女が現れる。それを待って見ているのも悪くない。
 すっかりその家族達と一緒になって遥人を見守る事が当たり前になってしまった朱里はそう思っている。
 
「莫迦な女だな。俺なんかより悠介を幸せにしろよ」

 細められた青碧色。照れているのか怒っているのか、それとも呆れているのか。
 全てが入り混じったような色で見られて、朱里は柔らかく笑う。

「だって、遥人さんが幸せになる事が命題だそうだから。あ、これは秘密なのかな」
 
 全く口を滑らせた風もなく云って退ける朱里に苦笑が漏れる。
 随分図太くなったものだ。これは悠介と落ち着いている証拠なのだろうが。

「大丈夫よ、共白髪になるまで掛かったって文句は云わないから」
「俺が厭だし、いつか悠介に殴られそうだ」
「それで簡単に骨が折れる年齢になってない事を目指せば?」
「ジジイじゃねえか。勘弁しろよ」

 遥人は顔を顰めながら手をつけていなかったケーキにフォークを入れる。
 明らかな照れ隠しに朱里は追い討ちを掛けるように笑った。

「いざとなったら、二人まとめて老後は見てあげるわよ?」
「勘弁しろ。本気で悠介に詰られる」

 まったく、お前ウチの家族の要素あり過ぎ。そう呟く遥人の顔は満更でもない。
 気が付けば家族の一員になっている朱里がこそばゆい。
 まるで一緒に幸せになろうといわれているようで。

 こうして笑うようになった朱里を傍におく男の満足そうな顔が見える気がする。
 笑っていさえすればいい。最初はただそう思っていたと云っていた。
 それが、自分の許でという願いとなり、実際朱里は今も彼の許で幸せそうに笑っている。

 この先もきっとそれが続くのだろう。それは予想でも予測でもなく只の事実になる気がして、素直に羨ましい事だと思える遥人だった。

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