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epilogue 7.

 ……実際、四年振りだったのよ。
 そんなボヤきを口にする気はないけれど、思わず恨みがましい目付きになるのは勘弁して欲しい。

 何度私が音を上げても止まらなかった道篤くんが四年振りかどうかはさておき。
 私はそうな訳で、体がぎしぎしと悲鳴を上げていた。使ってなかった筋肉がね……よく攣らなかったな。
 ……まあ、男の人とは基本的に違うので。彼がどうしていたのかは聞かないし、喩え誰かを相手にしていても責める気はない。これからは勿論許さないけどね。

「カナエさん、水飲みますか?」
「ん……」

 声も掠れちゃってるよ。
 ミネラルウォーターのペットボトルと受け取ってゴクゴクとそれを飲む。
 すごく喉が渇いていたのだと、自分で驚いた。

「大丈夫ですか?」
「ん、平気」

 気持ちだけは。
 そんな心の声が聞こえたのか、道篤くんはふわりと笑ってベッドに潜り込むと私を抱き寄せた。

「明日は土曜だから休みでしょう?」
「うん」

 ウチの病院の外来は土日が休み。都立なので暦通りの休日となる。
 そういう面では病棟の時と違ってびっくりするくらい楽なんだよね。まあ、勤務時間は同じなんだけど。

「じゃあ、ゆっくりしましょう。俺も仕事は来週からなので」
       仕事?」

 それも聞きたかった一つ。ああ、他にも聞きたかった事を思い出した。
 心の中でじたばたとする私を道篤くんは笑う。
 久々に、また読まれたのか。

「以前と同じです。事情は知られているので、休職扱いで強引に追い出されたんですよ」
「辞めてなかったの?」

 小さな医院に勤めていると云っていた。
 お爺さんのお友達の病院で、今はお孫さんがやっていると前に聞いている。

「辞めるどころか迷ってる俺に、明日から出て来るな。ただしスキルアップして戻って来い。なんて無茶苦茶な事を云って実家に俺が帰るって伝えちゃったんですよ」
「……わぁ」
「必ず返せ、貸すだけだ。とも云ったらしいですけどね」

 何だか強引だけど面白い。
 結局は実家に戻れ。でも、帰って来ていいんだって云ってくれたって事だよね。

「まあ、兄みたいな人なので俺は逆らえないんですけどね」

 くすくすと笑う道篤くんの顔は楽し気で、見てるこっちも嬉しくなる。
 頬を緩めていたら、道篤くんが何かを云い淀んだ。

「ん?」
「……で、四年も掛かったので、病院の方も結構大変だったらしくて。基本的にすごい体力のある人なので忍さんはどうでもいいんですけど」

 ああ、忍っていうのが院長やってる兄です。そう付け足した道篤くんは困ったように眉を寄せる。

「ハードワークで看護師が逃げ出したとか、よく紹介状を回した都立病院に掛かり続けたがる子どもが多いとか。昨日は八つ当たりされて大変でした」

 八つ当たりねえ。道篤くん相手だと受け流されちゃいそうで、するだけ虚しそうだけど。

「……カナエさん、忍さんに会ってますよ」

 一体どんな人なんだろうと思っていると、そんな事を云われた。
 記憶にはそれらしき人はいなくて、首を傾げる。

「この部屋、四年使ってない割りにマトモだと思いません?」

 ああ! そう、それよ。
 聞きたかった事を持ち出されて食いつく。
 次の住人がいたのは確かなのに、また借りたんだろうか。なんて不思議だったのだ。

「この部屋は手放さなかったんです。時々様子を見て空気の入れ替えとか軽い掃除をしてもらってました」
「……もしかして、それがその忍さん?」

 あのワイルドなおにーさん。
 道篤くんからは想像もつかない相手だけど、元々血が繋がっている訳じゃないし、先刻聞いた言動はイメージ通り。
 云いたい放題の偉そうな態度のデカさだったし。

「はい。時々カナエさんの様子も聞いてました」
「教えてくれればいいのに」
「そこが、あの人の曲がった所なんです。今日も会ったんでしょ? 随分楽しそうにしてましたけど」

 ……楽しそう。うん、あちらはね。
 朗らかな遣り取りがあったと思ったら大間違いだけど。

「どうも、カナエさんの事を気に入ったらしいんですよね」
       面白いって連発されたけど」
「もう逃げられないレベルだな、それ」

 どういう事なのかちっとも分からない。
 出来れば道篤くんのこちらでの家族とは上手くやりたいけど、あのおにーさんはちょっと強烈。
 ふてぶてしさに、いつか喧嘩を売りそうな気がするわ。

「基本的に悪い人じゃないんです。ただ、強引なんですよね」
「……俺様?」

 呟くと、ぶっと吹き出された。

「そうそう、そんな感じです。優しい人なんですけど、分かり難いんです」
「で、逃げられないって?」
「……俺が復職するのに条件をつけられまして」
「その状況で?」

 何だそれ、と思ったら、道篤くんが溜め息を吐いた。

「カナエさんを説得しろ、と」
「何の」

 聞き返すと道篤くんは私の目を覗き込む。
 
「カナエさん」

 改めて呼ばれて思わず息を飲み込む。
 素っ裸でくっ付きながら、それでも緊張するんですけど。

「『今瀧医院』で働きませんか。院長曰く、"家族待遇・今ならやり手の医師を熨し付けて贈呈"だそうです」
       は?」

 家族待遇って、何。やり手の医師って、道篤くんの事だよね? 公私共に歓迎するから転職して来いって事?

「すみません。冗談みたいですけど、本気なんですよ。カナエさんの勤務姿を見に態々病院に行ったくらいですから」
「あれ、私を見に来たの?」
「どうも、紹介状を書いた患児達がカナエさんの事をやたら話すらしくって。裕也くんの件も忍さん知ってますしね」
「私が荒っぽいの、今日話して十分伝わったと思うんだけど」

 面白いと云われた、あれだ。

「尚更気に入ったんじゃないですか。忍さんだってそんな穏やかじゃないのに子どもに人気がありますから」

 ふむ、と黙り込んでしまった私を道篤くんはじっと見ている。
 そんなに考え込むようなことではない…私にとっては。
 今の病院には随分長く勤めているけれど、看護師という仕事が出来れば場所にこだわりがないのが本音で。
 ただ、即答もできなくて。

「カナエさん?」
「道篤くんと私の関係があるから、なのかな?」

 勿論だからと云って道篤くんが私を推薦したとも思わないんだけど。実際四年前は上手くやっていた訳だし。

「違いますよ、そんな甘い人じゃないです。俺のカナエさんと患児達の云うカナエさんが同じだった事には驚いたらしいです。さすがに俺もそれは確認しました」
「道篤くんはどう思う? 同じ職場って、やり難くない?」
「それなら話は持って来ません。たぶん、忍さんとカナエさんもいいコンビになりますよ。病院にとってもプラスだと思います」

 きっぱりと答えられて、心が決まる。
 本当は、一緒に働けるのはすごく嬉しい。しかも、雇い主に家族待遇とまで云われて。

 家族がいなかった私には、もったいない位の話なのは間違いない。

       明日にでも紹介します。俺を受け入れてくれた家族です。きっとカナエさんも大切にしてくれます」

 そんな言葉に、本当にこれからずっと一緒なのだと、じんわりと体が熱くなる。
 一緒にいた時間よりも長かった離れていた時間。それよりもずっと長い時間がこれから待っている。
 目を閉じて素肌に感じる温かさに、云いようのない幸せを感じて絡めた指にぎゅっと力を込める。

「カナエさん、好きですよ」

 耳に届く声は特別な言葉。
 ずっと、もう一度聞きたかった。

「大好き」

 小さく囁くとくすぐるような軽いキス。
 触れられる事が心から嬉しくて見上げた先の顔は、柔らかくて心地よい眠りに私を誘った。
 目覚めても、ここにいてくれる。
 それが嬉しくて、私はその眠りに身を任せた。

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